2016年02月09日

タイトル:休めない - 土曜劇場

トキ北川タイトル:休めない - 土曜劇場 icon_new2.gif
どうしてもこの年齢になると、もっと若いころと今とを比較するのが習慣になってしまい、辛気臭い出だしの文章が多くなって恐縮なのですが、今週もそんな感じの出だしです。
 えぇ・・・年をとるにしたがって、休日というのがどんどん嬉しくなってゆくのですが、皆さんはいかがでしょうか?
これはべつに、あまり休みをとれないほど忙しいとか、そういうことではありません。
日本人の平均など知らないのを承知で申しますが、おそらく、平均的な日数のお休みはいただいているはずです。
そのお休みが嬉しくて嬉しくて。
まぁでも休日が一日あっても、そんなのすぐに終わってしまうのは分かっていますから、いちばん嬉しいのは休みの前夜でしょう。
明日休みだと思うと嬉しくて嬉しくて、ついついいろんな形ではしゃいでしまったりします。
だからと言って仕事がイヤでイヤで仕方ない、というわけでもありません。
私のような、こんな、何の取り柄があるわけでもないイマイチな人間に、責任のある役割を与えてくださり、エフエムハイホーのラジオ出演を含め、日々、感謝と恐縮の気持ちでいっぱいです。
にもかかわらず、休日が嬉しくて嬉しくて仕方がない、というのは、どういうことなのか・・・
・・・考えてみたのですが、つまりは感謝と恐縮の重みであり、責任の重みに起因しているんだと思います。
若い頃の私は、自分と世の中との繋がりについて、たいして何も考えずに生きていました。
ということはつまり、感謝も恐縮も責任も、たいして感じていなかったということになります。
もちろん仕事はしていましたし、いろんな人づきあいもしていました。
でも仕事をいただけることに感謝したり、与えられた役割と自身の素養や能力とを天秤にかけた末に恐縮したり、与えられた役割に責任を感じたり、そんな記憶がありません。
全てが自分本位で全てが人任せで全てが受け身で、結果、全てが上から目線だったように思います。
だから、あまり疲れなかったのでしょう。
だから、今ほど休日に有難みを感じなかったのでしょう。
もちろん肉体的に衰えてきていることも、無視はできません。
昔ほど丈夫ではないからこそ、日々、疲れてしまうという側面も、あるにはありますし、ホントはそっちの理由の方が大きいのかもしれません。
でもそれ以上に私にとって重要なのは、周囲とのかかわり方や、周囲に対する意識が変わってきたという側面です。
こんなロクデナシみたいな私に仕事を与えてくれることに感謝し、恐縮し、責任を感じ、こんなロクデナシみたいな私とかかわってくれることに感謝し、恐縮し、責任を感じ・・・だから、疲れます。
この疲れは、私の宝物であると言えます。
疲れれば疲れるほど、私は幸福なのです。

さて・・・幸福な疲労の末に迎える休日。
私は今もって、休日の過ごし方が上手ではないと思います。
いつも、なんかイマイチ、リフレッシュできてないような気がするんだもの。
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posted by fm814 at 19:13