2017年06月06日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ ー 土曜劇場6月3日放送分

トキ北川タイトル:「レベル 〜絶対と相対A〜」
出演:トキ北川
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幸せって、何なんだろう?
と、いうようなことを、生放送内でよく呟くようになりました。
べつに何かキッカケがあったとか、今の生活や自分の人生に疑問や嫌気が生じているというようなことでは、断じてありませんし、実はそう深い思想や煩悶が秘められているわけでもなく、まぁ、ちょっとした軽口です。
幸せ、なんて言葉は、軽すぎもするし、重すぎもします。
あまりに実態がなさ過ぎて軽すぎるし、意地になって突きつめようとすれば重すぎます。
「これが幸せってモンなんだろうな」と、その人が思えば、それが幸せなんだろうと、結局その程度のことしか、私には分かりません。
ただし、私が生放送で幸せについて話をすると、大抵、同じような展開になります・・・いつまでも続かない、ということです。
これは何も、いつかは真っ逆さまの不幸に墜落する、というのではありません。
それはまぁ、そうなる時もあるだろうし、ならない時もあります。
そうではなくて、人間、いつまでも一つの事を幸せだとは思えない、ということです。

このことは昔々から多くの人が考えてきたことです。
私がすぐ思いつくのは、森鴎外の小説『高瀬舟』。
流刑を言い渡され、舟で護送される殺人犯の喜助と、彼を護送する役目の役人である庄兵衛が主人公。
弟本人の依頼を受け、その弟を苦しみから解放するために殺したという喜助の行動について、読む人それぞれに考えや意見があることでしょう。
ただ、私にとってこの作品のハイライトは、庄兵衛の心の動揺です。
明らかに、誰がどう見ても庄兵衛の方が立場は上のはずですが、そんな彼が、一風変わった殺人犯に対峙して、大きく動揺し、やがては喜助に対して一種の憧憬のような感覚さえ抱いてしまったようにも読めます。
もちろん喜助の行いが罪なのか? という点も、庄兵衛の動揺の大きな要素ですが、それよりも私にとって印象深かったのは、喜助の「幸福観」とでも言うのでしょうか、それに触れた衝撃による動揺でした。
幼い頃に両親をなくし、弟と二人で生きてきて、でもその弟が病気で働けなくなってしまい、極貧の中で弟を養ってきた喜助にとって、これから待っている流刑生活は、住む場所もある、食べるものもある・・・今日明日、生きてゆく道すら見えていなかったこれまでに比べ、比較にならないほどの幸福な生活であるのでした。
それを喜助に告白された庄兵衛の動揺・・・一定レベルの生活を保証された中で、次から次に生じる欲にまみれて生きている自分と、自分に保証されているより遙かに下のレベルの生活に最上の幸福を感じ、もはや何を求めるべくもなく仏のように満たされた顔をしている喜助・・・これ一体どっちが幸せなんだ? と。

・・・どうなんでしょう? 喜助は本当に幸せなんでしょうか? ・・・まぁ本人が幸せだって言うんだから幸せなんでしょうし、彼の「足ることを知る」態度、憧れはしますが・・・もはや求めるべき幸せがないというのも・・・まぁ今後死ぬまでそんな状態にはならないんだろうから、そんなこと考えなくていいんでしょうが・・・


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posted by fm814 at 00:00