2017年11月07日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場11月4日放送分

トキ北川タイトル:死語
出演:トキ北川
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今さら言うことでもないですが、言葉は変化してゆきます。
幸か不幸か、日本語という言語は殊の外、古文と現代文とに差異があり、古文を読むための修練を積まないことには江戸時代以前の文章はおろか、森鴎外ですらスムーズに読めなかったりもします。
言葉は生きている人間によって使い継がれているので、人間が変化する以上、言葉も変化するのは当然ですが、日本語の古文と現代文との間には、そういった自然的変化のみならず、一種人為的な変化も見出せます。
明治時代の、言文一致運動。
その名の通り話し言葉と書き言葉を一致させようという運動なのでしょうが、「運動」ということは、特定の人間たちの、日本語を変えるという意志と目的が見てとれますし、今は古文に比べて、見事に話し言葉と書き言葉とが一致していますから、彼らの意志はある程度成就したのだとも言えます。
我々からすると「言文一致」なんて単にノーマルでしかなく、むしろ話し言葉とは異質の書き言葉を持っていたということの方がアブノーマルに思えますから、何をそんな当然のことに対して「運動」なんて大げさな看板を掲げる必要があったんだ、と思ってしまいますが、当時の先人たちにとってそれは紆余曲折の連続であり、一筋縄で達成できるものではなかったようです。
たとえば言文一致の先駆的小説『浮雲』などを読むと、どうすれば口語で文章が書けるのか、悩みに悩みながら怖々と書き進めたであろうことがうかがえます、巻頭と巻末とではまるで別人が書いた別の作品のようで、しかも完結していないところからすると、結局どうすればよいのか分からないまま諦めたのかも知れません。
思うに、彼らには、口で話すような言葉で文章を綴ることに、大きな違和感や躊躇があったのだと思います。
昔の日本人がみんな、あんな古文みたいな喋り方をしていたとは思えません、ということは、話し言葉とは異質の書き言葉というものが存在していたということになります、つまりかつての日本人にとって文章を書くというのは、感情や事実を伝達するものではなく、そういったむきだしの現実に、フィルターを通すような作業だった気がします。
欧米人に比べて日本人はストレートな伝達が下手だとよく言われますが、それは当然で、ストレートな伝達なんかしてこなかったのだし、そんなものが良いということすら思っていなかったはずだし、そんなものを目指しはじめたのはごく最近なわけですから。文語での文章表現に慣れてきた人間たちが、明治に入って急に書き言葉を捨て、話し言葉で文章を書いてみた時の困惑は、尋常ではなかったはずです・・・現実が、あまりに現実すぎて。
ここ十数年、不特定多数の人に自分の言葉を読ませる人が圧倒的に増えました。
今や誰の審査の確認も通すことなく、自由に自分の書き言葉を公表することができます。
伝達や通信、表現や主張が格段にしやすくなってよかった分、文語を捨て去った弊害を見せられているような、そんな日本語も溢れるようになってしまったと、そうも思います。
私のような、昭和の忘れものみたいな人間からすると・・・PCやスマホの画面に貼りつけるフィルターが欲しいです。
まぁ、だからって今回の作品が、そんなことを考えていただくためのもの、というわけではないんでして・・・
まぁ、いつも通りです・・・いつも通り、しょうもないです。

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posted by fm814 at 10:15