2018年06月04日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場6月2日放送分

トキ北川
嘆願書
出演:トキ北川
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私の学生時代に生じた電気機器類の変化で最も印象深いものの一つが、コピー機の登場でした。
それまではテスト前に真面目なクラスメイトのノートを借りて書き写していたのが、コピー機の登場でその手間が省けるようになり、当時はそのことを知った先生の中に嘆いている方もいました・・・学生がそこまで楽してどうする、と。
電気機器に限らず何だってそうですが、世の中に変化が生じると、それを嘆く者も現れます。
私はそういう者になりがちです・・・保守的、というと、それもまた一つの思想であり信念であるかのようで聞こえはいいですが、まぁ、私程度の人間、要するに、新しいものに適応するのが億劫なのでしょう。
CDプレイヤーが登場した時も、レコードほど愛着が持てないとか嘆いていましたし、携帯電話が登場した時も、四六時中束縛を受けているみたいで気味が悪いとか嘆いていました。
でも、まぁ、嘆くだけです・・・CDだって携帯電話だって、結局のところ、当たり前のように使うようになりました。
嘆き以上の、たとえば本気でその変化に反対して阻止しようなどというような大胆な行動を起こしたって、どうしようもありません、ただ、変化を無条件に受け入れるのが嫌で、ちょっと拗ねてみるだけです。
浅田次郎の小説「遠い砲音」は明治時代初期に起こった日本の西洋化の渦中が舞台になっていますが、その中で、「何時何分何秒」まではっきりと示す西洋的時間感覚にどうしても馴染めない元武士が、もしかしたらそれを受け入れることで、これまで日本人が所持していた、何か美しいものが失われてしまうことになるのではないか、と思い嘆いています。
私もその手のことは生放送でよく申します・・・先日も話の流れの中でふと呟いたばかりです・・・「何かを手にするということは、何かを捨てるということでもあるんだろうと思います」と。
コピー機を手に入れた我々は、書き写す手間を捨てました・・・CDプレイヤーを手に入れた我々は、レコードと、それを手入れしたり後半を聴くために裏返したりする手間を捨てました・・・交通手段の発達で、それまでの人間が所持していたであろう脚力を捨て去っただろうし、文字や録音機器の発達で、それまでの人間が所持していたであろう記憶力を捨て去ったでしょう。
ただ、それが嘆くべきことなのかどうか・・・大きな流れ、たとえば人類史の流れの中で考えてみれば、「それがどうした」というレベルの些事でしかないのかも知れません。
文字が発明される以前の人間の記憶力が欲しいとは、今の我々のほとんどは、べつに思わないでしょう。
それまでの人間には記憶する必要があった事柄が、我々にとっては記憶する必要のない事柄になったというまでです。

私のように何かと古いものを引きずって生きている人間から見て、最近、今、目に見えて人間が捨て去っていっている能力があります・・・忍耐力です・・・我慢する力、と申しましょうか。
世の中の多くの変化が、人間から、我慢や忍耐の必要を取り去っています。
「キレやすい若者」なんて言葉を聞きますが、これなどはそれと直結する弊害、なのかも知れません、が、まぁ、人類史のレベルでとらえれば、単なる一つの変化であり流れ、なのでしょう。
「ハラスメント」という言葉が当然のように浸透して久しいですが、この言葉も、我慢しなければならなかった多くの事柄を、我慢しなくてもよい事柄に変えました。
もはや我々は、我慢せずに「ハラスメント」を叫ぶことが可能です、それと同時に、我慢する力は着実に衰えていっています・・・それで、いいのでしょう、大きな流れの中で考えれば。


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posted by fm814 at 23:30