2018年07月31日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場7月28日放送分

トキ北川

やきそば 〜前篇〜
出演:トキ北川
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少なからず危険な発言かも知れませんが、法レベルとは全く別次元での、個人的な固執や思惑、正義や善意というようなものが、人それぞれ、あっても不思議ではありません。
法律というものは個人の尊厳や権利を保障するものであるという期待感も、持っていなくはありませんし、そのような主張が声高に叫ばれるのを聞かないわけではありません。
ただ、大きく括ってイメージしてみると、法律というのはやはり、個人レベルではなく、社会レベルでの安定や安全を保障するものであって、個人レベルで言うと、規制や抑圧の色が濃いような気がします。
そもそも何故法律というものが出来たのかという起源を詳しく知っているわけではありませんが、そんなものなかった時代の社会と、出来てからの世界を比較してみるに、やはりそこには、解放や保証より、規制や抑圧の目的があったように思います。
私はそのことに、何ら不満はありません。
むしろ私みたいな人間、何かで規制でも抑圧でもしてもらわないと、どうしようもないと思っています。
まぁ、小心者ですし、何か大胆な行動を起こして大規模に公共の福祉を乱すとか、そういうことは、ないと思います。
私にとって人生や生活などというものは、無難で平穏であるに越したことはありません。
かと言って、本当に何事もなく、人生全体が凪のように平らなまま終わってしまっては、それはそれで淋しいかも知れませんが、そんな心配は、するには及ばないでしょう。
普通に生きてりゃその時々、無難や平穏を壊すような出来事がいろいろ起こります。
まぁ、それらの出来事が起こる原因は私にも少なからずあるわけですし、だから不可抗力とは言いませんが、それに近い形でいろいろ起こる出来事以外に、たいした波風を自分から起こす必要は、私にはありません。
私だってこれまでの人生で、やむにやまれず自分から思いきった行動に出たことが一度もないわけではありませんが、そんなことは、人生の中でのごくごく稀なケース、くらいで充分です。
いろいろと規則があってくれた方が有り難いと私が思う理由は、そういう突然的な大胆行動を抑止するためではなく、じわじわとゆっくり変化してゆく自分の心を抑えるためには、規則というものの力を借りざるを得ないと思うからです。
規則なんか何もなくても、強く自分を律し、それでいて周囲とも共存してゆける、そんな人もいるのかも知れませんが、私からすれば、そんな人、想像すらできません。
私はいつもよりダラけてしまうと、次の瞬間にはそのダラけ方が習慣化してしまうような人間です。
私は一つ欲求が叶えられると、それが当然の状態になって、平気で次の欲求を抱くような人間です。
自分でも気づかないうちに、それまで自分に課していたはずのノルマや戒めをやすやすと破ってしまうような人間です。
そこはいろいろな法律で、いろいろな規則で、規制してもらい、抑圧してもらった方が有り難いのです。
それに、法律がない世の中というのは、おそらく、狡猾な人、強かな人しか生き抜けない世の中でしょう。
狡猾でも強かでもない私は、法律によっていろいろ守られ、叱咤され、そのようにしてしか、生きてゆけません。
もちろん中には、「何だよソレ」と思うような法律も、なくはありませんが、「何だよソレ」と思うだけで、我慢します。

もしも大好きなやきそばを法律で禁止されたら・・・それはやはり抗議活動か何か・・・いや、やっぱり食べるの我慢するでしょう。

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posted by fm814 at 00:00