2017年12月12日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場12月9日放送分

トキ北川
副業 〜前篇〜
出演:正次・上田よしみ・トキ北川
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実にどうでもいいことではあるのですが、私が台本で描く空間、というようなことを、少し書かせていただきます。

毎週毎週台本を書いている私ですが、ひたすら気儘に作らせていただいているので、その分あまり広がりはありません。
これは作風的にも言えます(つまり、まぁ、いつ聴いても変わり映えしないというか)が、空間的にも言えます。
つまり、まぁ、いつ聴いても変わり映えしないというか。
たまにはまったく違う語り口を使ったり、珍しい設定、珍しい舞台を描いたり、ということも、まぁ、やっていなくはないのですが、基本、極めて狭い枠内で、ワチャワチャしているだけです。

「ハイホー電鉄」沿線という架空のテリトリーを設定して、徐々にその空間を広げてゆく、という作業は進めていますが、これは広げる作業というよりは寧ろ、限定する作業でして、多くの作中人物をこの沿線内に閉じ込めてしまうための装置になっています。
なぜそんなことをするのかと言うと、私はセセコマしい範囲内でワチャワチャするのが好きだからです。

私の台本が、実在の場所を舞台にすることは、あまりありません。
私が最も好きな場所は、いつも生放送で申し上げている通り、大阪の京橋です。
なぜ好きなのかと言うと、実にセセコマしいからで、それに、未整理だからです。
限られた範囲内に、知性と猥雑、居住と歓楽、今と昔・・・そんな対立要素が、棲み分けをしているというほど区分けもされないまま、無造作に混在しています。
一時期、昨今の街づくりがすべてそうであるように、この街も整理されかかり、大阪特有の街の呼び名「キタ」や「ミナミ」にあやかって、「ヒガシ」と呼んでもらおうというキャンペーンが展開されていたと記憶していますが、今、京橋のことを「ヒガシ」と呼んでいる人を私は知りません。
実は街の半分は、非常にモダンなビジネス街になっているのですが、残り半分は、私の学生時代そのまま、外からの見栄えには無頓着な、自分たちが楽しけりゃいいし自分たちがよけりゃいいという、自分勝手な街のままです。
・・・まぁ、だから大好きです。
以前、正次と「京橋」というタイトルの台本をやったことがありますが、とてもとても、この土曜劇場にアップできるような内容ではありませんでした・・・よく言えば京橋を魅力的に描きすぎた、よく言わなければ京橋を猥雑に描きすぎたからです。

「京橋」とは違い、十年前とは見た感じ様変わりした大阪の街が、天王寺。
中心の交差点を中心に、ものすごい華やかなビルやものすごい背の高いビル、ものすごい健全な芝生なんかが出来ましたが・・・一つ裏通りに入ってみますと・・・私の好きな感じです。
たぶん初めてだと思いますが、そんな天王寺に初めて、私の愛すべき登場人物を立たせてみました。
いつも土曜劇場をお聴きいただいていない方は、何のこっちゃ分からないところがたくさんあるかも知れませんが、いつもお聴きいただいている方にはお馴染みの主人公を、いつもとは違う形で登場させています。

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posted by fm814 at 22:56

2017年12月07日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場12月2日放送分

トキ北川
高田正一の一歩! 二歩!! 三歩!!!
出演:正次・トキ北川
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幼い頃、私は鶴が折れませんでした。
究極的に不器用な手先指先で、ゴテゴテゴテゴテ折ろうとするのですが、どうしても鶴になりませんでした。
鳥のような形に折れたことはありましたが、鳥ではあったとしても、断じて鶴ではありませんでした・・・腹から喉にかけてやけにボッテリとした、異常に恰幅のよい鳩をたまに見かけますが、そんな鳥になってしまっていました。
小学校一年生の時、クラスメイトが入院したのでみんなで千羽鶴を折ることになったのですが、どうしても折ることができず、放課後も残されて、他に誰もいない教室でひとり、日が暮れかかる時刻まで泣きながら折り紙をクシャクシャいじって折ろうとしていたこともありました・・・その時も結局折れないまま先生に許してもらいました。
そのうちに、鶴を折る機会なんてなくなってきて、結局私は、これまで一羽の鶴も折ることなく生きてきたのです。

昨年でしたか、とあるイベント会場で、鶴を折る機会に遭遇しました・・・会場の片隅に、「アナタも鶴を折ってください」というコーナーがあったのです・・・反戦のメッセージとして千羽鶴を作製することが目的だったようです。
「折り紙」「鶴」・・・私にとっては、疎ましくも恨めしくもある、見たくもないはずの字面が並んでいたのですが、どういうわけか、吸い寄せられるようにそのコーナーに歩み寄ってしまいました。
鶴なんて折れなくても生きてゆけるわけだし、今さら折れたからって何がどうなるわけでもないのだろうとも思います。
実際私は鶴が折れないし、もう40年近く、鶴を折ろうなんていう意思すら持ったこともありませんが、それでもここまで生きてきました・・・でも、何だか折ってみたくなりました。
無人のコーナーで、卓上に折り紙の束と、折りあがった鶴を入れる箱が置いてあり、壁には鶴の折り方の説明書きが貼られていました・・・これほど一人で静かに鶴を折ろうとするための場所は、そうはありません・・・鶴くらいいつでも折りゃいいじゃないか、ってなもんですが、日頃は鶴なんて折ろうと思いませんもの。
私ももう初老です、落ち着いて説明書きの通りに作業を進めていけば、意外なほど簡単に鶴なんか折れるような気がしました、と同時に、とてもワクワクしました・・・たとえば日々仕事に追われる疲れきった日々の中、ふと小学校時代の文集を目にして、子供の頃に憧れていた職業を思い出し、今さらながらその夢に挑戦したくなったというような・・・たとえば自分の好意を告白することなく卒業と同時に会えなくなった女子に、街でふと二十数年ぶりに出会い、今さらながら告白したくなったというような・・・鶴を折れなかった時代は、「青春」と呼ぶにはまだ早い年齢でしたが、それでもやはり、忘れていた青春が我が胸に蘇ったような心境でした。
まぁでも結局折れなかったんですけど。
・・・しばらく折り進めたところで、説明書きの意味が分からなくなってしまい、断念しました。
もちろん努力が足りないんです・・・強い気持ちをしっかりと維持して、落ち着いて、腰を据えて努力を続ければ出来るようになるのかも知れないし、実際そのようにして、出来なかったことが出来るようになったことだってあります。
でも私は鶴を折ることに対して、そこまで努力をしようと思わないのでしょう、昔も今も。

一年以上ぶりの登場、高田正一くん・・・念願の生放送旅番組の進行役ですから、彼にとってはここでこそ努力をするべきです・・・私にとっての折鶴とはワケが違います。
一年以上ぶりの番組復活・・・その時間が、彼に何かを授けたのでしょうか? どうかお聴きとどけください。

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posted by fm814 at 19:19

2017年11月29日

娯楽トキドキ情報アワー土曜モチャリスタ − 土曜劇場11月25日放送分

トキ北川
門出 〜シリーズ「サンシャイン朝日・照子」第3話〜
出演:上田よしみ・トキ北川
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以前ある女性リスナーさんから、「息子が社会人になりました、息子に何か言葉をください」というメッセージをいただきまして・・・一瞬ではありましたが、頭の中を私なりにフル稼働して、いろいろ考えました。
私が社会人としてヘタレなのに、未来ある新社会人に、どんな顔で何を偉そうに言えばいいのか、それともちょっとフザけた返答をして無理やり和んでしまおうか、オッサン特有の下ネタか何かでお茶を濁そうか・・・
まぁだいたいのことはしょうもない苦笑いで逃げてしまう私ですが、それでは済まないこともあるわけです。
これはラジオの生放送に限った話ではなく、生きていればそういうことはいくらでもあります。
何事も苦笑いなんかでは済ませないような方には、何とも次元の低い話かも知れませんが、苦笑いで済ませることを基本姿勢としている私のような怠け者には、これはとても大切なことなのです。
苦笑いですませちゃいけない場面を苦笑いで済ませようとすると、反感を買うばかりです。
以前からメッセージをくれるリスナーさんで、彼女にとって息子さんというのがどれほど大きな存在なのかということもわきまえておりましたし、また、いくらヘタレだとは言っても私だって社会人の先輩であるわけだし、ここは、苦笑い的に済ませちゃいけないような・・・まぁリスナーさんご本人はそれでも許してくれるかも知れませんが、それでは私自身が私を許せなくなってしまいそうな、そんな気もいたしまして、ここは私なりに、偉そうに、自分が社会人として、ヘタレながら生きてきた実感、みたいなものをご披露しようと、そう思うに至り・・・こう申し上げました。
「社会人にとっていちばん大切なのは、情熱、ではなく、責任感です」
・・・で、言ってから苦笑いしてしまいました。
頭の中に「アンタに言われたくはない」と、キートン山田的なナレーションが流れたからでした。

仕事は楽しむべきなのか? ・・・最近こんな議論が巷にあるようです。
「べき」という助動詞は厄介で、多くの意味がありますが、これが「適当」レベルの意味なのであれば、まだ許容できます・・・「楽しんでやればよい」てな感じでしょう。
ところが「べき」には「義務」の意味もあり、こちらの意味で言われているのなら・・・「仕事は楽しまなければならない」・・・こんな意見、私なら・・・無視します。
私は、仕事は楽しくないものだと考えています、いや、私みたいなヘタレの怠け者は、楽しんじゃいけないんだと。
どんな仕事であれたった一人で完結するものなどなく、様々な人とのつながりの中に自分が組み込まれています・・・仕事は楽しいもんだ、なんて思っちゃうと、楽しくなくなった時に思いっきり迷惑をかけてしまう可能性があるわけで、楽しかろうが楽しくなかろうが、託されたこと、任されたことは完遂するものだと、しかもそうすることで手に出来る代償は、楽しさや喜び、ではなく、お金であると、そう強く意識し、ともすれば怠けようとする自分を叱咤しています。
お金の問題じゃない、と、情熱家はよく言いますが、それはその通りであるとしても、お金こそ大問題です。
「責任を果たす→お金をいただく」この一大鉄則を忘れないように、ということが私にとっての仕事にまつわる最重要事項であり、楽しいかどうかは二義的な問題でしかありません。

親愛なる、二代目サンシャイン照子さま・・・お世話になった師匠への恩返しとは言え、あなたはとんでもなく楽しめなさそうな責任を背負ってしまいましたね・・・新生サンシャイン朝日・照子、デビューです。

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posted by fm814 at 00:00